発達障害の彼女の決意~ミスの多さから職場で疲弊していった過去の自分。これからの私は自由に生きる!~

にゃおんアニスピわおんそのほか

【インテリ家庭に産まれた天真爛漫なADHD女性】

今回、紹介する前澤さん(40)は、関東某県に住む主婦だ。彼女は未診断ながら、強い発達障害(ADHD)だという自覚がある。

ADHDとは発達障害の中の一つで、主に

①課題から気がそれることが多く、我慢したり集中し続けたりすることが困難(不注意)

②不適切な場面で過剰に動き回る(多動性)

③事前に見通しを立てることなく即座に行動する(衝動性)

が特性である。

彼女は父が学者、祖父は政治家という裕福なインテリ家庭に育ち、大学卒業後、小学校の教諭となる。話しているうちに落ち着きがなく、話がとめどなく長い様子から、彼女のADHDの傾向を感じたが、本人はいたって天真爛漫で悩みがなさそうな雰囲気の女性だ。

 

最初は深刻な内容の取材になると身構え、足取りも重かった。最重度自閉症の次男を含む4人の男児の母であり、本人はADHDという彼女の人生は、さぞかし困難なものではないかと想像したからだ。そんな重苦しい気持ちを抱えて、彼女の住む、関東某県のマンションの高層階にある一室へと向かった。インターフォンを鳴らすと室内から子どもたちの明るい声が聞こえてきた。

 

ドアが勢いよく開かれ、丸い眼鏡をかけたかわいらしい顔立ちの女性が「いらっしゃいませ!」と元気よく迎えてくれた。4人の男の子が代わる代わる顔を覗き込みにきて、作りかけのマインクラフトの作品を見せてくれた。休日なので子どもたちも在宅しているという。

室内はどちらかと言えば散らかっていて、それを隠す様子もない。雑然とはしているものの、彼女の趣味だというギターやマンドリンなどの楽器類、小さい頃から大の読書家だという彼女の愛読書が広がる光景は、知的好奇心が刺激される物であふれている。前澤家はとても明るい。

本人も天真爛漫で悩みがなさそうな雰囲気の女性だ。その朗らかな笑顔と仲の良さそうな子供たちの様子で緊張は一瞬で和らいだ。

リビングのテーブルに腰をかけ、子供たちが好奇心いっぱいの顔で代わる代わる覗き込む中で取材が始まった。

 

【発達障害と性的違和】

まずは彼女の過去の話を伺った。

「幼少期は自分のことを『僕』と言っていました。一緒に遊ぶのも男の子ばかり。小学校4年生の時に、いとこのお姉ちゃんに『おかしいよ』と指摘されるまで、一人称が『僕』であることをおかしいとも思いませんでした。以前、性同一性障害の方に『あなたはLGBTのホモだ』と言われたことがあります。

 

自分の中身は男性だと今でも思っています。性対象は男性なので、今の夫と結婚しました」

 

発達障害と性的違和の関連性は海外ではデータとして出ており、発達障害のある人は性的違和感を定型発達の人と比べて持ちやすい傾向がある。彼女もその一人だ。

 

【挫折を知った教員時代】

「小学校の教諭になった一年目は円形脱毛症になりました。周囲に適応できないことで悩んだのではなく、大学まで勉強で苦労したことのなかった私が、就職した途端、仕事が全くできないことがショックでした。自分に幻滅してしまったんです」

彼女は未診断の発達障害者だが、大学までは優秀な成績を納めていた。就職後にマルチタスクの環境にさらされた途端、仕事でつまずいた。学生時代は成績優秀でも、社会に出たとたん、仕事ができずに、発達障害との診断が下るケースはよく耳にする。彼女も社会人1年目にしてつまずいた。

「発達障害かどうかの診断は受けていません。どうせ診断が下ると分かっているのに、わざわざ診察を受けるのも面倒くさいので」

彼女は興味があることに関しては、人の何倍も活動的だが、興味がないことに関しては、全く興味がないのだ。飽きてしまうのだという。

 

【ミスを補うために2時間睡眠の日々】

「ADHDの傾向が強い私は、新しいものは大好きなんです。なので、生徒に課題のプリントを作ってやらせることは大好きでした」

だけど、その後に採点するのは、同じ作業の繰り返しなので、半分もいかないうちに飽きてしまう。なので、学期末に通知表を渡す際、通知表と一緒に10枚くらいの採点し損なっていたプリントを一緒に返却することもざらだった。

 

「親からクレームが入ることもありましたが、熱心な先生だと思ってくれる親御さんもいたので、そこは問題にはなりませんでした。だけど、致命的に事務作業が苦手だったんです。例えば、出席簿がつけられない。丸をつける行が一行ずれてしまってやり直しになる」

 

在職期間の4年間はミスの多さを補うために、2時間睡眠で働いていたという。そんな話をするときも彼女に悲壮感は一切ない。とにかく明るい女性なのだ。私はその明るさの源を知りたくなった。彼女は4年働いたおりに結婚退職することになった。

 

2時間睡眠の生活も限界で、退職することで事務作業から解放されるのであれば、教職に未練はなかった。念願の長男が生まれ、翌年には次男が生まれた。次男は目が合わず、言葉も遅かったため、病院を受診したところ、最重度自閉症と診断された。彼女は息子の症状が少しでもよくなるように、小学校入学するまでは母としてできる限りのことをしようと決めた。自宅から1時間以上かかる療育教室に通わせた時期もある。

「次男は、生活していても全く目が合いませんでした。ただ部屋をウロウロと歩き回る様子を見て夫と『まるで魚みたいだね』と話していたこともありました」

 

だけど、次男の様子が変わることはなかった。支援学校入学が決まったと同時に、彼女の中で区切りがつき、初めて次男の障害を受け入れられたという。教諭として不向きな事務作業で疲弊し、育児に追われ続けていた彼女は、子の小学校入学を機に、自分のために生きると決めていた。
「私は人に対しても、物に対しても執着が薄いので、受け入れられたのかもしれません」
彼女がギター好きということもあり、飄々とした雰囲気は、まるでムーミン谷のスナフキンのような雰囲気を持っている。執着の薄さから感じるイメージなのかもしれない。

 

【思ったことが口から出てしまう思考のダダ漏れ】

発達障害の人には、一見してはわからないが、多くの人とは違う“感覚のズレ”がある。もちろん誰しも一人ひとり“感覚のズレ”はあるが、発達障害の人はそのズレが大きい。その“感覚のズレ”が原因で誤解をされ、トラブルを引き起こすことも多い。彼女にはどのような“ズレ”があるのか聞いてみた。

 

「あくまでも私の場合は」と聡明な彼女は前置きをして、自身が40年間感じてきた周囲の人との“感覚のズレ”を語ってくれた。発達障害の人のイメージの一つとして、謝らない、言い訳が多いというものがある。

「ADHDの傾向が強い私の頭の中は、いつも高速回転しているんです。ごめんと言う前に、高速で、そこに至った経緯、今後の改善策などを3日分くらいは考えて、タイムループをしているような感覚ですね。何かミスをしたときに、すぐに謝らなくてはいけないことは、定型発達寄りの長男を見て学んでいます。何て自然に謝れるんだろうと感心します」

いわゆる定型発達と言われる側の人間は、どうやったら人と円滑にコミュニケーションが取れるかを幼少期に教わるでもなく、自然と身に着けていく。だけど、彼女は長男から学ばなければ分からないという。彼女が言うには、高速回転で色々考えているうちに、謝るタイミングを逃すけれど、例えば遅刻してしまったのなら、頭の中では3日経っていると感じるほど高速で、色々考えているので、謝る前に疲れ切ってしまうという。

 

「なので、責められると、こんなに謝っているのに(実際は謝っていないけれど、頭の中では何千回も謝っている)もう許してくれてもいいじゃないかという気分になってしまいます。私は口には出しませんが、言い訳が多いと感じるのは、発達障害者は相手に対し語りかけているのではなく、ただ自分の思考が口からダダ洩れているだけだと思いますよ。私は口に出さずに頭の中で思考し続けているだけで、口に出してしまう気持ちもよく分かります」

知人のADHD男性も、何かミスをしたときに、反省していることはその様子から伝わる。しかし、ごめんと謝ってくれたことは、筆者が本当に怒った一回きりだ。彼も頭の中では高速回転で、善後策やそこに至った経緯などを考えているうちに謝ることを忘れてしまうのだろうか。そう考えると憎めない。

 

「あと、身近にいる発達障害の人が些細な嘘をついてしまい、人間関係がこじれて会社を首になってしまったことがあるのですが、私は彼の気持ちが分かるんです。『このミスをしたのは君だよね?』と聞かれて、咄嗟に『自分ではないです』と答えて、結果的に嘘をついてしまったんです。でも、彼は恐らく自分がミスしたことは分かっていて、瞬時に『自分ではない』と自分の『こうであったらいいな』という『希望』を答えてしまっただけだと思います。『希望』という思考が口からダダ洩れてしまった」

話を盛るタイプ、その都度、言っていることが変わるタイプの人は、サービス精神プラス「こういう理由だったらかっこいいな」「こうだったら面白いな」と思いついたことを瞬時に口に出してしまうだけ。思考が口からダダ漏れしてしまってるだけだと彼女は推測する。この感覚を彼女から言語化されて、初めて理解ができた。知人男性も話を盛るタイプなのだが、そこに人を騙そうという悪意や傷つけようという意地の悪さは感じないのだ。「思考のダダ漏れ」「サービス精神」なのだと思うと納得がいく。

 

「だって、その嘘をついたことで得するどころか損をするじゃないですか。信用を失うのだから。発達障害者のつく嘘って人をだまそうとしてるのではなく、単に頭の中で考えていることを口に出してしまっているだけだと思う」と彼女は笑った。

 

確かにそうなのだ。一般的に人が嘘をつくときは、自分の不利な状況を有利にしたいときではないだろうか。発達障害者の人の嘘は、自分にとって一つも得にならない上に、すぐにバレてしまうよう短絡的な内容だということがままある。

 

【1回1回が初対面】

元々、人に対する執着が薄い彼女には、友人と言える人はいない。だけど、彼女は全く孤独に見えない。人は人とコミュニケーションを取って生きていきたいのではないか。人間関係は人生を豊かにするものではないのか。

「私は会社の上司などは、序列がはっきりしているし、『この立場の人にはここまでしか言ってはいけない』というのが分かりやすいので付き合いやすいです。それでも言っていいこと悪いことを理解できるまでに4年かかっています。最近、やっと、人は何を言ったら怒るのか、どんな対応をしたら怒らないのかが分かってきたところです」

 

会社の人間関係とは違い、友人関係には「目に見えない序列(カースト)」があり、メリットでつながっている関係ではない。抽象的な概念を理解するのが苦手という特性を持つ発達障害者にとって、友人関係というものは分かりにくいものなのだろう。

 

「中学校の友人だったら中学校を卒業したら関係は終わりです。継続して続いている友達はいません。友達というものがよく分からない」

その場の衝動で刹那的に生きている彼女は、人の名前や顔もすぐに忘れてしまう。

「相手との思い出が蓄積していくわけでもありません。頭の中は常に高速回転で他のことを考えています。相手の名前や顔を、完全に忘れてしまうのではなく、思い出すのに1日くらい時間が必要なだけなのですが」

 

それくらい頭の中の情報が整理されていない。相手の名前をゴチャゴチャな頭の中から検索しているような感覚に近い。クルクル変わる彼女の表情からは、目まぐるしく思考を頭で巡らせている様子がうかがえる。

 

「なので、関係は一回一回が初対面のような感じです。そのうちに思い出すのも面倒くさくなってしまう。40歳になった今でも友達というものがよく分かりません」

 

人というのは、その相手を誰だと認識して、その特定の相手とのエピソードや思い出の蓄積により愛着も情も沸くものではないか。彼女が言う通り、名前も顔も思い出すのに1日がかりであれば、面倒くさくもなるし、深い関係を築くことは難しいだろう。それでも彼女が孤独を感じないのは「人に対して執着が薄いから」だという。発達障害の中でも、ASDの傾向が強い人には、そもそも人とコミュニケーションを取ることに関心が薄く、他人に興味がないというタイプの人がいる。彼女はADHDとASDの併存型である「ハイブリット」といわれるタイプの発達障害なのだろう。

彼女は言う。「田口さんの顔も明日になったら忘れると思います。再会したら、こんな顔していたっけと思い出すのに1日がかりです。その日が初対面のようなものですよね」

 

【ファーブル昆虫記のような視点で人を見ています】

そんな彼女だが、決して人に全く興味がないわけではない。だけど、興味の持ち方が、エモーショナルなものではないのだ。

「人に対する興味は『ファーブル昆虫記』のような感覚に近いです。昆虫好きな人は、昆虫が好きなのに標本にしたりしますよね。私も人に対して、そんな感じです。『この人は私のことが好きなんだな』『この人は音楽が得意なんだな』と虫ピンで留めて、分類して楽しんでいるような興味です。そこに愛情があるかと言ったら違う気がします」

 

夫に対しても「この人と一緒にいると楽だ」という気持ちはあっても、それが愛情なのかというとよく分からないという。

「なぜ私が人間関係で傷つかないかと言えば、昆虫が自分の方に飛んできても、驚きはしても、傷つかないでしょう?それと一緒で、私にとって人は観察対象なので、何を言われても傷つかないんです」

彼女の強さというか明るさの源はこういったところからくるのだろう。

取材しているうちに寂しい気持ちになった。なぜなら、彼女に対して、友人と話しているような錯覚に陥っていたからだ。だけど、彼女にとってみれば、筆者も昆虫の標本と大差ない存在なのだ。

「40年生きているので、相手がどういう反応をすれば喜ぶかは分かるし、(定型発達者に)擬態することはできるんですよ」

無邪気な笑顔で彼女はそう答えた。

 

これが彼女の世界観なのである。昔観た「50回目のファースト・キス」という映画を思い出した。この映画はラブ・コメディなのだが、交通事故に遭った女性が事故前日までの記憶が全て一晩でリセットされてしまうという短期記憶喪失障害になってしまう。彼女を愛する彼は毎日、初対面の場面からやり直し、毎日「ファースト・キス」をするという内容。
そんな愛の形があるように、世界観も様々だ。

 

【友達になるのは申請制】

彼女のあっけらかんとした明るい笑顔を見ていると、それでもいいじゃないか。そんな友人がいてもいいじゃないかと思えてきた。「友人というものはよく分からないので、申請された場合のみ友人として認定する」というルールを持っている彼女に、友達申請をしてきた。彼女からは、認定カードを受け取った。そんな友人関係も面白いではないか。筆者の中の発達障害者へのイメージは彼女のお陰で、コミカルなものに変わった。そして、「自分の世界観に合わせろ」と迫る”自分は健常者と思っている人たち”や社会側の傲慢さも同時に感じた。彼ら彼女らは全く違う世界観に生きているだけなのだ。

 

この記事の内容はもちろん発達障害者全般に当てはめられる内容ではないけれど、同じ発達障害といってもひとくくりにはできず、多様性があるのだ。それは”自分は健常者と思っている人たち”にも多様性があるのと同様に。
「友達認定カード」を名刺入れに入れ、前澤家を後にした。子供の頃に友達と交換した「プロフィール帳」を手にした時のような、懐かしく暖かい気持ちになった。またいつか初対面の友人として、彼女に会いたい。

 

※内容は事実関係に基づいていますが、個人特定を避けるため、人名・地名・関係者名などは個人情報漏洩を避けるため一部事実と異なります。

 

田口ゆう