フリーランスのクリエイターになると言って、親に「夢みたいなこと言って!!」「バカなこと言っていないで地に足をついた将来を考えろ!!」などと怒られた経験がある人は多いだろう。ミュージシャン、イラストレーター、小説家、漫画家など様々な職業があるが、それらは本当に夢の職業なのだろうか?
2018年2月に漫画家の吠夢(ぽえむ)さんが亡くなった。享年は57歳だった。遺作として『生ポのポエムさん』が電子書籍で発売された。
吠夢さんは駆け出しの頃は、手塚治虫プロや漫画家・日野日出志の元で仕事をしていた。飲み会では、「トイレで小用をたしていたら、たまたま入ってきた手塚治虫に声を掛けられた」というエピソードを鉄板ネタにしていた。
その後、メジャー誌の賞を取り、独立したプロの漫画家になる。得意ジャンルはホラー漫画で、ホラー漫画雑誌を中心に作品を掲載していた。ホラー雑誌は時代とともに減少した。代わりに、実話系と呼ばれる雑誌で、体験漫画などを描いていた。ただそれらの雑誌もまた、減少していった。吠夢さんの絵柄はかなりクセがあるため、新しい仕事をつかむのにもかなり苦労していた。
2017年の秋、食い詰めた吠夢さんは、編集者Tさんに一本の電話をかけた。
「本当に仕事がなくて困っているという内容でした。吠夢さんは、どちらかと言えば気弱な性格で新しい仕事を営業力で取ってこれるほど器用な人でもありませんでした。それに持病である糖尿病がかなり悪化していて、目が見えなくなってきていると訴えられました」
そのような状態で、雑誌で新たな連載を取るのはかなり難しいだろう。しかし今更、誰かに雇われて働くというのも、性格的にも健康的にも無理そうだった。見かねたTさんは、吠夢さんに生活保護を受けることを勧めた。そして吠夢さんは生活保護を受けることに決めた。
「ただ吠夢さんは、たとえ生活保護を受給したとしても、漫画家として活動したいという意欲はありました。そこで出版社に頼らず、自分の作品を描いてネットに投稿してはどうかと提案しました」
現在では出版社の雑誌で連載しなくても大変な人気になることはある。ツイッター、note、フェイスブックなど利用できるSNSは多い。もちろん収入をえるのは難しいが、売上で生活している漫画家もいる。もちろん吠夢さんにとっては厳しい道程だが、ただ不可能ではない。吠夢さんは「挑戦してみたい」と言った。
テーマは「自身の生き様」で行くことになった。そう言うとかっこいいが、原作付や体験ルポが多く、久しくオリジナル作品を描いていなかった吠夢氏にとっては、それ以外に選択肢がなかったのだ。「60歳を目前にひかえ、病魔に犯されている漫画家が、生活保護を受けながら再起を目指す実録漫画」への挑戦がはじまった。ただ吠夢さんはコンピューター関連にはとことん弱かった。コンピューター本体やスキャンなども持っていなかった。鉛筆で書き、つけペンでペン入れする、昔ながらのスタイルだ。だが、ネットに上げるには、コンピューター上のファイルにしないといけない。Tさんが力を貸すことにした。
「勧めた手前もありますし、何より吠夢先生の熱意にほだされて協力することにしました。ITに疎かった吠夢先生ですが、ガラケーからスマホに新調しました。『note』でいきなり収益を上げるのは難しいでしょうから、僕の方でも出版社と交渉して連載が4話分たまった時点で電子書籍として配信する内諾を得ました」
そして2018年になった。年明けそうそう、吠夢さんからTさんに、原稿上がったとの一報が来た。吠夢さんは正月の間は、自室で一人で原稿を書き続けていた。
「原稿を見せてもらいました。原稿からはやる気が伝わってきました。次回の打ち合わせも早くしましょう!! ということになりました」
しかし、打ち合わせ日に吠夢さんは現れなかった。Tさんから電話をかけてもなかなかつながらず、一時間後にやっと電話に出た。電話越しの吠夢さんは泥酔しているのか呂律が回っていなかった。ひたすら「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝り続けた。Tさんは落ち着いたらまた連絡をください、と言って電話を切った。
「とにかくビックリしました。吠夢さんは打ち合わせをすっぽかすようなことは今まで一度もなかったので」
そしてその電話が、Tさんと吠夢さんの最後のやり取りになった。その電話以後、二週間音信不通の状態が続き、心配になったTさんが警察に連絡。警察官は吠夢さんの部屋で、冷たくなった遺体を見つけた。遺体は遠方に住む高齢の両親に引き取られていった。
「アパートの大家さんから僕に連絡が入りました。僕が以前吠夢さんに送っていた、安否を気遣うFAXを見たようです」
葬儀は実家で密やかにあげられたため、Tさんは参列していなかった。つい最近まで、交流していた相手だけに、手の一つでも合わせたかった。そして、もし可能なら、最後の原稿を見てみたいという気持ちもあった。吠夢さんの部屋は、想像以上に汚い部屋だった。長年の男一人の万年床で、物が散乱していた。過去の作品も無造作に置かれていて、最後の原画はなかなか見つからなかった。
「なかなか見つからなくて、諦めたところで、ふっと大量の原稿が詰め込まれた袋から『生ポのポエムさん』の第一回原稿と新連載のためのネタ帳ノートが見つかりました。運命的なものを感じました。原稿の出来は決して高いものとは言えません。ところどころ大きくデッサンも狂っていました。内容も50代の漫画家が貧困と病気に耐えかねて、練馬区役所の福祉事務所に行き生活保護の手続きをする……それだけの話です。でもなんとも言えぬ鬼気迫る迫力を感じました」
全部で20数ページ、たった1話だけでは、あまりに短い。ただ、なんとか世の中に発信したいと思った。
「とりあえず原稿を出版社の編集者に読んでもらいました。確かに物語のプロローグでしかないし、ページ数もたった20Pしかありません。でも出版社の方もこの原稿を読んで、生きざまを感じ取ったようです。両親の承諾も得て電子書籍として配信されることになりました。」
そうして、吠夢さんの遺作『生ポのポエムさん』は電子書籍で配信された。
フリーランスのクリエイターを目指していると、親に
「夢みたいなこと言って!!」
「バカなこと言っていないで地に足をついた将来を考えろ!!」
と言われるかもしれない。吠夢さんは、まさにそんな夢が破れた人に見えるかもしれない。ただ見方を変えれば、一生漫画家であり続けることができた幸せな人だったのかもしれない。
フリーランスのクリエイターになりたいと思っている人は、一度読んでみてはいかがだろうか?
著者: 村田 らむ
2020.3.29.