弊社のアスリート採用社員を紹介!!女子ラグビー日本代表の経験を有する、直営指導員「小西想羅」

ジュガール

2021年より、アスリート採用を始めた弊社では、現在、2名の女子スポーツ選手が社員として所属しております。

そんな中、2022年4月に新卒として弊社に入社しました、女子ラグビーで活躍する「小西想羅」をご紹介いたします!!

 

小西

小西②

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小西 想羅(こにし そら)

ポジション:7人制FW 15人制​FL/No.8

中野区出身、5歳から杉並区のチームに所属、國學院大學栃木高校入学、青山学院大学へ入学、20224月にアニスピHDへ新卒で入社し、放課後等デイサービス「ジュガール」の指導員として配属される。

現在は、三鷹にある、横河武蔵野アルテミ・スターズに所属しながら勤務。

 

 

アニスピでの働き方について教えてください!!

〇なぜアニスピへの就職を決めたのでしょうか?

就職するにあたって、私の中で、ラグビーをやらせてもらえる、というのが重要な条件でした。

元々、介護等、人の役に立てる仕事に興味がありました。普段、プレーをしていると、絶対的にスタッフの方やお医者さん等、周りの人に支えてもらえることが多く、反対に自分が周りの人のために役立てていることがあまりないなと感じていました。

そんな時に、人に助けてもらうばかりではなく、自分が人のためになれる仕事が良いなと思っていたので、アニスピへの就職を決意し、障害福祉に挑戦してみようと思いました。

 

〇練習はいつしていますか?仕事と調整は大変ですか?(ジュガール基本就業時間:10時~19時)

月曜と木曜:2時半~からクラブチームで練習

火曜と金曜:午前中に自主練やコンディション調整をして、2時から出勤

水曜:1日ジュガール勤務

土曜:練習が必ず入っているので、勤務は無

日曜:試合が入ったりすると、月曜日休めるよう日程調整

 

周りの職員も協力的で、子供たちも笑顔で送り出してくれるような環境です。とても理解があり、温かく働きやすい職場です。

 

〇選手と職員の両立でのハード面はありますか?

今まで福祉に関わったことがなかったので、福祉の仕事になれるまでは大変でした。

一時期施設の職員が不足し、子供たちも荒れ、落ち着かない時期がありましたので、その時はしんどかったです。

最近は、子供たちも雰囲気に慣れてきて、少しずつ成長してきており、落ち着いてきましたので、仕事と競技の両立に苦しむような点はないです。

 

ジュガール勤務様子①

 

〇競技を続けるにあたって、アニスピに入ってよかったと思う点はありますか?

競技活動を優先して、柔軟に対応してくださり、会社が私の活動を応援してくださっていると感じており、アニスピに入ってよかったなと思っています。

他の会社に勤めている周りの女子ラグビーの選手からは、午前のみの勤務となるとメール処理や雑用しか任せてもらえない、と、聞くことがありました。そんな中、アニスピでは、私が希望している子供と関わる仕事をしっかりとさせてもらえており、仕事にも充実感を与えていただいております。その点は、本当に、ありがたいなと思っています。

 

〇仕事に対する想い、やりがい

現在は、指導員として勤務しており特に資格はないですが、2年経つと児童指導員になれるので、来年は児童指導員になり、より支援力を上げていきたいと思っています。

ジュガールに通う子供たちは、できないことが多い分、できるようになることも多いので、成長が見えやすく、子供たちの成長を感じられることは、とてもやりがいになっています。

放デイの職員として、子供たちの珍事件に遭遇することも多く、対応力も鍛えられ、うろたえにくくなったなと感じています。

 

ジュガール勤務様子②

 

〇今後の目標(仕事面)

児童指導員や、保育士の資格を取るために、まずはしっかりと勉強をしていきます。

また、子供たちとのかかわり方の学びは、一生終わることはないと思うので、11人の成長とどう向き合っていくか、子供たちの成長の手伝いをしていくにはどういった支援をしていけたらいいのか、常に考え続けていけたらなと思っています。

 

 

ラグビーについて教えてください!!

 

小西さんプレー風景 小西さんプレー風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇ラグビーを始めたきっかけは?

兄が友達に杉並ラグビースクールの見学に誘われて、その見学に一緒に行ったことがきっかけです。

小さい頃から、体を動かすことが好きな活発な子供で、一緒に見学についていく際に、親からは「絶対あなたは練習に参加できないよ」と言われつつもジャージでついていったところ、見学先のコーチに誘われて体験したことが始まりでした。

 

中学校からは、学区内の公立中学にラグビー部があったので、そこに所属しました。女子ラグビー部はなかったですが、中学生までは、男女一緒に試合出場が可能でしたので、部活で男子と一緒に公式戦にもでていました。中学校3年生からは女子ラグビーのクラブチームにも所属するようになりました。

 

高校は、国学院栃木高校に入学し、寮生活が始まりました。同期は、女子が4人、男子を含めると30人ほどおり、その半分以上が寮生活をしていました。ルームメイトもいたので、一緒にいすぎて、寂しいということはなかったです。反対に、一人の時間が欲しいな、と感じるくらいでした(笑)。

部活動をしながら、高校3年生の夏までは、クラブチームに所属していました。そのころまでは、部活の女子部員だけではチームが組めませんでしたので、栃木県合同チームを作って公式試合に臨んでおりました。しかし、私が3年生になったころには、後輩の女子部員も増えてきて、高校の部活でチームを組んで、出場できるようになりましたので、クラブチームを卒業して、部活に専念していきました。

高校の公式的な全国大会は、全部で3つほどあり、高校3年生の時に、3つ全ての全国大会で、優勝しました。

 

青山学院大学に入ってからは、部活と今の横河武蔵野アルテミ・スターズに所属するようになりました。青山学院大学には女子ラグビー部はなく、部活は男子ラグビー部に所属していました。

女子ラグビー部がある大学ももちろんありますが、小学生からずっと日本代表になりたいと思っており、日本代表になってワールドカップを目指すにあたって他の人と同じような道を選んでも仕方ないなと思い、あえて女子ラグビー部のない青山学院大学を選びました。男子チームに所属することで、男子の技術やスピード感等、とても勉強になりました。

 

〇怪我についてはどうですか?

試合中は、アドレナリンが出ていて、本当に大きなけがでない限り、あまり気がつかないですね。試合が終わって帰宅してから、シャワーを浴びたり、目覚めたときに痛みを感じたりすると、今回も、きてるな、と感じます(笑)。絶対、普通の人なら、全身打撲で運ばれているよ、と思いながら(笑)

 

今回の怪我(頸椎ヘルニア)で、競技人生初の手術を受けました。5歳からラグビーを続けていて、この年齢まで手術をしたことがない人は、ほとんどいないですね。チームや周りの選手のほとんどが何かしら怪我をして、手術して、サイボーグになっているので(笑)。

今回の怪我は、最初、試合12日後にしびれが出て、病院で検査した際に、若干ヘルニアの傾向はあるが、手術をするほどではないとのことで、そのまま継続して試合に出ていました。その後、シーズンが始まり、試合に出ずっぱりでシーズンが終わるまで競技を続けていたのですが、ドライヤーをかけるのがつらかったり、しびれすぎて寝るのもしんどくなったりしたので、シーズンが終わってから再度MRIで精密検査を受けました。その結果、頸椎ヘルニアが悪化していることが発覚。ラグビーを続けるのであれば手術したほうが良いね、となり、今回の手術が決まりました。

 

怪我で競技人生を終わる方も中にはいらっしゃいますが、女子ラグビーの場合、どちらかというと進学や就職のタイミングでやめる方が多いです。

大学も、男子と違って推薦で入れる大学は少なく、ラグビー以外にやりたいことが明確にある方ですと、その少ない選択肢の中では難しく、結果的にラグビーをやめるという判断をされる方が多いです。仕事に関しても、がっつり働きながらラグビーをしたいと思っていても、そこのすみわけが難しかったりしますね。

競技認知があまり進んでいない状況で、女子ラグビーをしっかりやりたい、となると、仕事と両立できるような環境はなかなかないですね。

 

〇現在の女子ラグビーに対する想い

自分がどうにかできるかどうかは別として、人生の分岐点(進学や就職等)で女子ラグビーを基準とした場合の選択肢が少なく、また、分岐点で女子ラグビーの選択をし続けている人たちにとっては、引退後の就職の選択肢がとても狭いということを感じています。ラグビーだけではなく、ラグビー以外のやりたいことも両立できる選手が増えるような環境を目指していきたいなと思っています。

 

高齢者介護で勤務されている選手がいることは聞いたことがありましたが、今まで障害福祉事業に就職した方の話は聞いたことがありませんでした。そんな中、自分が障害福祉の職種を開拓したことは、選手の選択肢を一つ増やせたなと思っています。

就職の時は、そういう点も結構考えて検討していました。ラグビーでお世話になった先輩が所属する企業への就職も検討しましたが、コロナの関係で雇用枠が減ってしまっているタイミングでもありました。そんなときに、今まで先輩がいっていないような場所に就職することで、今後の後輩選手たちの選択肢を広げてあげた方が女子ラグビー界のためにもいいね、と同期と話すこともありました。

競技人口が少ない分、人とのつながりはとても強く、先輩たちが様々な面倒を見てくださり、プレーだけでなく、人としても尊敬できる部分をたくさん教えてくださいました。自分たちも次の代に還元して繋げていかなければ、という思いは強いですね。

 

〇女子ラグビーの現在の自分のポジションは?

現在は、首の怪我もあって、代表活動をしていません。怪我の療養も含めて、楽しくラグビーをやりつつ、今まで代表活動が多くお世話になっているクラブチームから離れている時間が長かったので、今年・来年はクラブチームへの貢献度を上げていきたいな思っています。

今、チームには後輩たちがどんどん増えてきており、平均年齢も若くなってきています。大学生が多くなっている分、経験値が少ない選手も多くなってきました。私は日本代表やいろんな場所で様々な経験をさせていただいておりますので、それらを後輩に伝えていく活動をしていかなければいけないなと思っています。

ですので、来年からはプレーヤーとしての活動に加えて、コーチングの活動もしていけたらいいなと思っています。資格がなくてもコーチにはなれますが、どこのカテゴリーまで指導ができるか、という目安として、コーチングの資格制度があります。その研修参加が23歳から認められていますので、今年は、コーチング研修を受講しました。日本代表の経験があると、飛び級ができるような仕組みになっており、来年には、A級の資格を持ったコーチとして活躍していきたいと思っています。

コーチング制度

A級は、国体の選手を指導でき、国体の監督を目指すことができます。

S級になると、日本代表クラスの選手を指導できる資格になっています。

 

〇日本代表として活動された期間はどれくらいですか?

表現が難しいですが、代表候補に初めて呼ばれたのが高校2年生の秋で、そこから翌年のワールドカップ直前までメンバーに入っていました。そこで一度、代表メンバーから外れ、次のワールドカップに向けてまたチームが指導するタイミングで、再度招集がかかり、2022年のワールドカップ直前でまた代表メンバーから外れたような形になるので、合計すると、約7年、代表としての活動をしてきました。

 

〇今後の目標(競技面)

選手とコーチングの兼任を目指します。

私は、栃木県で女子ラグビーの国体に出ており、栃木県にはお世話になっているので、来年、再来年には、栃木県の国体監督を目指していきたいと思っています。

女子ラグビーは、選手と監督が兼任できます。メンバーとして10人登録でき、そこに加えて、監督が選手を兼任できるとなると、合計11人の選手がチームに所属していることとなります。そうなると、数的にも有利になるので、私が国体監督になることで栃木の国体でお世話になった方々への恩返しをしていけたらなと思っています。

 

また、代表活動に関しては、今年・来年は、招集がかかれば検討しますが、自分が定めている第一の目標としては、所属クラブチームへの貢献度を上げていきたいと思っています。

日本代表に選んでいただけることは、とても光栄なことですが、100%ラグビーという生活になってしまうので、なかなかラグビーを楽しめなくなってしまう方も周囲に多くいます。私自身もラグビーが義務になることで、しんどく感じることもありました。なので、ラグビーを好きで居続けるために、怪我の療養期間をきっかけに、1度、代表から離れて生活をしていきたいと思っています。