異なる障害特性を補い合って暮らす人々 ~同じ「障害者」同士でも助け合えば支え合える。手を取ろう~

代表ブログ

以下、弊社アニスピHDの子会社であるアイデアルの記事の転載です。

非常に分かりやすい記事なので転載します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

発達障害取材をしていると、障害当事者で集まって作る、当事者会・自助会の方に話をうかがう機会が多くあります。

発達障害の場合、コミュニケーション障害を持っている方(主にASDの方)も多いので、内輪もめによる分裂がとても多い。

発達障害というと、定義が広いので、みながコミュニケーション障害を持っているという誤解も多いと思う。

だけど、発達障害には、下記の図のような特性の違いがある。

 

(図:厚生労働省)

 

ADHD当事者の方が話していた「ASD(図でいう自閉症、アスペルガー症候群のあたりの人を指す)の人が立ち上げ段階で入ると、早期に崩壊する」という話は面白い。

 

特性上、興味関心の偏りやこだわりが強いと、立ち上げ初期の組織には向かないだろう。

 

組織を立ち上げる段階で必要とされるのは、勢いだったり、推進力だったりするので、ADHDの多動性や衝動性の方が役立つのは自分の経験からも分かる。

 

だけど、ADHDの人が中心となった組織を拡大しようとする。そうなると、今度はASDで事務作業が得意な人がいない組織は、大きくならないという。

 

拡大する段階に入ると、今度は事務作業が増えていくし、助成金をもらいたいと思えば、申請書類を作ることが必要になってくる。

ADHDの方の不注意や多動・衝動性という特性は、細かい事務作業に向いていないと感じる。

 

実際、私の周りでも、ADHDで事務作業が苦手でミスばかり。途中で飽きてしまってやり切れないと言っている人は多い。

そんなときに必要となるのは、ASDの人の「一つのことにこだわる」「興味関心の偏り」という特性が大いに発揮される。

 

この世の物事は何でもそうだけど、陰と陽のどちらの側面もあり、成り立っている。

私にはASDの人が陰、ADHDの人が陽で、どちらもいなければ、当事者会は成り立たないのだなと思う。

 

私は30代の頃にうつ状態と診断されたことがあるが、その頃にうつ当事者同士で、「うつうつダイヤル」を作ったらいいんじゃないかという話になったことがある。

 

SNSなどで書き込みを見ていると、同じうつの患者同士でも、当たり前に「状態がいい時期」「悪い時期」が違うのだ。

状態が悪い時に、同じように悪いサイクルに入ってる人に「死にたい」「つらい」等、頼ったら、共倒れの可能性が高い。

だけど、状態がいい時ならば、悪い状態の人を支えられることもできる。

 

うつになったことがなければ、うつ当事者の「死にたくなる気持ち」が理解できなくても、当事者同士であれば理解し合えるし、どんな言葉をかけたら気が楽になるのか、理解し合える部分も多い。

 

「自立とは依存先を増やすことである」とは、脳性マヒの障害を持ちながら医師としても活躍され、現在は東京大学先端科学技術研究センター准教授として「当事者研究」などの分野でも注目されている熊谷晋一郎氏の言葉だ。

 

一人に頼ったら共倒れしてしまっても、依存先がたくさんあれば、支え合えるというのは、障害者だけに言えることではないだろう。

 

昨今、介護疲れからの子殺しなど、悲しいニュースが増えている。

 

「障害ある子の介護に疲れた」 長男殺害疑い逮捕の母、容疑認める

https://news.yahoo.co.jp/articles/1230c99a4b77e917a84508a19bdab325d60fbbc3

 

長男のりゅうさんは17歳。記事中に障害の種別は書いていないが「数年前から、物を投げたりして暴れるようになった」とあるので、恐らく精神障害、知的障害もしくは発達障害だったのではないかと推測される。

 

精神や重度の知的障害の方は病院やコロニーに隔離政策で入れられていた歴史がある。だが、昨今では、長期入院している人たちを退院させ、地域生活へ移行させようというのが、国が打ち出している政策だ。

 

その中で、もしりゅうさんや他の悲しい事件の被害者家庭が、適切に福祉とつながっていたのであれば、グループホームで暮らすという選択肢もあったはずだ。こういった悲劇は、グループホームで「依存先を増やしながら」暮らしていれば防げたかもしれない。

 

そして、今、グループホームで共同生活をしながら、生活を立て直し、障害者雇用等で就労している人も増えている。その中では、知的障害・発達障害・精神障害などの障害の種別を超えて、お互いの「苦手」を補いながら共同生活を送る人々がいる。

 

そこには、例えば、知的障害がある方が給料日に入ったお金を全て使ってしまっても、精神障害者の方が翌月の買い物には付き添い、金銭管理をするといった助け合いがある。

 

昔は、発達障害の子どもを抱えた親御さんたちが、親亡きあとの生活を考え、自分たちの子どもだけが入れるグループホームや障害者施設を作るというケースが多かった。

 

今もその現状は大きくは変わらず、子どもの将来を案じる親がお金を出し合って、施設を作る計画をしているケースを見聞きする。必要だけど、圧倒的に数が足りていないのだ。

 

助け合って暮らしていくのは、何も障害者に限ったことではない。健常者と言われる人々も、誰かに依存し、多くの依存先を持った上でなければ、生きていけないことには変わりない。

 

一人で頑張らない、一人で抱え込まないことが、高齢化社会・8050問題を抱える日本にとって大切なキーワードになるのではないか。