息子が「発達障害の疑い」と診断が下った直後、社会福祉法人の元女性介助者Aさんに「何てかわいい自閉症児なの!」と言われ、憤慨したことがあった。
「何て失礼なことを言うのだろう」と代表者にクレームを入れたほど、当時の筆者にとり、息子の診断はショックなものだった。だが、その後2年、彼女と筆者の関係は変わっていき、筆者にとり、息子の障害について心置きなく話せる人の1人となっていった。
その「かわいい自閉症児」という発言がどんな気持ちから発せられたか知ったのは、知り合って3年後のことだった。
Aさんは10年間、重度・最重度発達障害者の介助をしてきたから行動障害のない、グレーゾーンにいる息子の自閉傾向が「かわいいものだ」と感じたので、そう言ったのだった。
「強度行動障害を伴った発達障害者の介助は命がけ。行動障害からパニックを起こせば、老人とは違い、力があるので首の骨を折られ、後遺症が残った人もいた。だけど、それでも私はまた現場に戻ろうか悩んでいる」
小柄で色白で47歳のAさんの容姿からは、そんな過酷な現場で10年も働いてきたことは想像ができない。
発達障害者が適切な支援や医療に結びつかなかった結果、強度行動障害につながることがある。強度行動障害とは
○ 自分の体を叩いたり、食べられないものを口に入れる、危険につながる飛び出しなど、本人の健康を損ねる行動
○ 他人を叩いたり、物を壊す、大泣きが何時間も続くなど周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動
○ 上記の2つの行動が著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態と定義されている
(厚生労働省ホームページより)
Aさんの同僚女性のヘルパーは、小柄だったこともあり、パニックを起こしている男性発達障害者に、男性の頭の位置まで抱き上げられ、そのまま床に叩きつけられた。その結果、女性は頸椎損傷の重症を追い、後遺症が残り肢体不自由となった。しかし、そのことが報道されることは一切ない。そこまでの事故はまれだが、介助中に頭突きされ流血する、引っかかれ、噛みつかれ血だらけ・傷だらけになるのは、日常的な出来事だと言う。
都内某所にあるNPO法人代表Nさんは語る。
Nさんは4年制の福祉大学を卒業した後、発達障害児の療育に携わり、現在では小児から成人発達障害者、身体障害者、知的障害者の相談支援業務と療育センターを合わせ持つNPO法人の代表となった、福祉畑一本の女性だ。
「利用者さんに強度行動障害がある場合、私たちは親御さんから身体拘束の同意書を取ります。そうでないと、自分自身またはスタッフの身の安全を確保できないからです。移動支援中に外出先でパニックを起こされた場合、あらゆる手段で制止しないと利用者さんのパニックはエスカレートしていきます。なので、時には足で踏みつけてでも、制止します。私たちはよく、近隣住民から虐待者として通報されるんです」Nさんもまた小柄で童顔の45歳で「足で踏みつけてでも制止する」という表現とは似合わないかわいらしいショートカットの女性だ。
「髪をつかまれてごっそり抜けちゃうことなんて、よくありますよ。スタッフはみんな消えないあざや傷がありますよ。腱を切ったスタッフもいます。だけど、それって私たち世代の介助者にとっては、勲章なんです。最近の若い子はすぐに『痛いアピール』をしてすぐに病院に行くと言いますよ。もちろん病院に行ってくださいと言いますけど(笑)私たちの頃は、痛いアピールどころか、勲章だったのに最近の子は分からないわ」とNさんは笑った。
筆者が「ものすごくブラックな職場ですね」と笑うと「よく考えてみたらそうですよね。だけど、それだけ日常的なことなので、筆者は病院にも行きません」と豪快に笑った。
だが、その目の奥に感じるのは、福祉職に誇りを持ち、意志の強そうな目の輝きだ。筆者はAさん、Nさんの両方に「あなたはなぜそれでも介助を続けるんですか?」と聞いてみた。
Aさんは言う。「発達障害者の方がメルトダウンやパニックを起こした時は本人にとって安心できる個室に誘導して、扉を閉めて収まるのを待っているしかないんです。メルトダウンを起こした場合、自傷行為をしだしても止める術はないんです。だいたい発作は10分ほどで収まるけれど、その間、自分の体をこぶしで殴る鈍い音、壁にぶつかる音だけが扉の外から聞こえてくるんです。出てきたときには、叩きすぎて、顎が割れてることも目を叩きすぎて失明していることもあります。でも、私はその孤独な10分間を親御さんだけに任せることができなかった。他人だから耐えられるんです。だから、そんな事故の話を聞いても、私は最重度発達障害者の支援に戻ろうか悩んでいます」と。
筆者も息子の母親だ。だから、息子がもし強度行動障害を持っていて、自傷することを止められないのだとしたら、きっと耐えられないだろう。Aさんも2児の母だ。
Nさんは「自己満足のためです。誰かを救いたいなんて思っていません。その結果、誰かが救われるというだけです。あとは、やはり地域に暮らす母としての仲間意識からです。同じように子を持っている親御さんが苦しんでいる。それを助けたい。私がやらないで誰がやるんですか?私はよく行政ともめますよ。あなたがやる範囲外のことを、なぜするんだって言われて。だけど、役所の人に、やってくれますか?と言うと黙っちゃうんですよ。誰もやる人がいないからやるんです」と言った。Nさんもまた3児の母であり、里子まで育てている。
筆者自身、発達障害者支援をボランティアで引き受けることがあるが、Aさん、Nさんのどちらの気持ちも分かるのだ。
Nさんの言うとおり、筆者がボランティアをしているのも、自己満足のためである。だけど、やはり母親からの相談だと、親身になってしまう。同じ母親だからだ。この時間、この子たちを預かっていたら、このお母さんは1時間でも休息できるだろう。そんな気持ちからだ。
こういった重度の後遺症を負ったケースやケガを負わされた場合、それが表ざたになることはまずない。
そういった子を持つ親は、小学校入学の時点で損害保険に加入するという。また労災が適用され、親御さんとの間で示談が成立するケースがほとんどだからだ。裁判で争ったところで、相手に責任能力はない。そして、その結果、命を落とすことになったとしても、マスコミは報道しない。
だけど、日々、命の危険や怪我に晒されながらも、介助を続ける人たちは確かに存在するのだ。
田口ゆう