隣の芝は青く見える~人と「比べる病」から卒業できない私。知的障害のある自閉症の息子~(立石 美津子)

アニスピわおんそのほか

私は58歳、あと2年で還暦だ。
孫がボチボチ生まれる友人も多くなってきた。少し前までは同級生の集まりに参加すると、犬自慢で盛り上がっていた。子どもが就職して、家から出てしまうと“空の巣症候群”となり、犬を飼い始める友人が多くなってきたからだ。(空の巣症候群…子どもが家を出たり結婚したりしたときに、世話してやる相手がいなくなり、自分の存在価値がなくなったと感じ鬱になる状態)

最近は集まるとスマホを出し、孫の写真を見せ合う“孫自慢”になってきた。

そんな空間にいると、ふと「私にはこういうことは生涯巡ってこないんだなあ…」と悲しい気持ちになる。息子は知的障害のある自閉症なので「結婚することはない」と思うからだ。かつて悩まされていた“比べる病”がムクムクと顔を出す。

 

 

 

■不妊症の人
30年前、友人たちが結婚し出産ラッシュだった頃、シングルの私は焦った。相手を見つけて妊活に励んだが不妊症とわかった。その後、パートナーが見つかり妊娠して喜んでいたのも束の間息子に障害があることがわかってからは

・お座りが出来たのが早い、遅い
・立って歩くのが早い、遅い
・離乳食をモリモリ食べる、食べない
・言葉が早い、遅い
・オムツがとれた、とれない

などの健常児を育てるママ友の話題についていけなくなった。

嫌々期、習い事、中学受験、進路の悩みとママ友の話題は、子ども年齢と共に変化していったが、息子には無縁のことだったので、友人の集まりから次第に足が遠のいた。

 

■進路決定
特別支援学校高等部の3年生だった頃、障害児を育てるママ友との話題は、もっぱら卒業後の進路のことだった。(特別支援学校高等部卒業後の進路)

・障害者雇用枠での一般就労
・就労移行支援事業所
・就労継続支援A型
・就労継続支援B型
・生活介護

企業就労する子の話を聞くと、私は「おめでとう。良かったね」と言いながら、胸が苦しくなった。息子は企業に障害者雇用してもらう能力がなかったからだ。

でも、「生活介護に行く子の親は、就労福祉支援事業所に行く息子のことを聞いて、胸がザワザワしているだろう」とも思った。

 

■フェイスブックに書くと
フェイスブックに息子が福祉サービスを受けていたり、特別支援教育の中で手厚い指導を受けていたりすることをアップすると、障害が軽い子の親から次のような書き込みがくることがある。

「知的障害のない発達障害の我が子は支援の網の目から、零れ落ちてしまっている。立石さんが羨ましい…」

「グレーゾーンではなく、しっかりと知的障害のある自閉症だったら、どんなに良かったか」

私は心の中で「知的遅れがなかったら、一人で買い物出来るでしょ!親亡き後のグループホームを探さなくてもいいでしょ!」と叫んでいる。比べてしまうのは人間のサガなのかもしれない。

 

■定着率
「知的障害のある方の正規雇用率は雲を掴むような数字で、半年更新や3ヶ月更新の有期雇用、要はアルバイト。3年以内に正社員となった人は40%を下回る」と聞いたことがある。

確かに福祉の進路先である就労移行支援事業所には職場で理解されず、苛めに遭うなどして、戻ってきている人が多くいる。

そうなると「企業就労おめでとう」と喜んでいられるのは今だけなのかもしれない。でも、こういう書き方が負け惜しみ「“比べる病”を未だに卒業できていないな」とシミジミ思う。

ダウン症児を授かったある母親がオムツ替えのとき我が子の陰部をシミジミ見て、「娘はここから子どもを産むことも生涯ないんだろうな」と呟いていた。そんなことを思い出した。

 

立石 美津子