日本の精神医療と脱施設化の課題~隔離の歴史と障害者への根強い偏見~

アニスピわおんそのほか

呉秀三氏が、1910年(明治43)から1916年(大正5)までの間に精神障害者の実態を調査し、異議を唱えるまで、日本では精神病患者は「私宅監置」されるのが一般的だった。「私宅監置」とは、自宅の一室や敷地内の小屋などに患者を監禁することだ。

 

呉が「精神病者私宅監置ノ実況及ビ統計的観察」(1918年、大正7)の中で書いた、『わが邦(くに)十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦(くに)に生まれたるの不幸を重かさぬるものというべし』という一節は有名である。

 

呉は、その改善に努めたが、制度としての「私宅監置」は太平洋戦争後の1950年まで続いた。

 

太平洋戦争中は、物資の不足等により、精神病院は一時的に減った。

 

しかし、戦後は政府の後押しでまた急速に数が増えた。

 

病院が増え続けた背景には、自宅でみるよりも入院させた方が安上がりな「精神科特例」の影響もある。

 

日本が海外と比較し、入院人数や日数がけた違いに多いのは、こういった背景からだ。

 

しかし、1984年には宇都宮事件が起こり、病院内での患者へのリンチや無資格者による医療行為が明るみとなる。

 

WHOからの勧告もあり、日本の精神医療の政策は、入院治療中心から、地域で生活しながらの治療へと大きく転換していく。

 

2004年以降は、診療報酬の改定により、長期入院すると病院が損する仕組みとなり、「病院から地域へ」の流れを後押しした。

 

また、1961年にバザーリアがゴリーツィアの州立精神病院長と赴任し、トリエステを中心に脱施設化をめざした改革が始まり、次第に各地へこの運動が広まった。

 

イタリアでの精神病院の廃止の事例を参考に、日本は脱入院化政策を進めている。

 

(イタリア トリエステ)

とはいえ、日本の脱病院化にはまだまだ課題がある。患者はいまだに家族から隔離されて生活している現状が続いている。また。地域で患者を受け入れていくためには、医療体制の整備だけではなく、住民の意識を変えていく必要がある。

 

 

 

 

グループホームや障害者施設の開所にあたり、住民の反対運動はある。

 

その背景には、長らく続いた隔離の歴史があり、身近に精神障害者や精神疾患の患者がいないことがある。

 

2016年(平成28年)7月26日に神奈川県相模原市にあった神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件の際に起きた「障害者ヘイト」を見ても、障害者への偏見がいまだ根強いのはお判りいただけるだろう。

 

https://ai-deal.jp/etc/post-3015/

 

事件が起きた「津久井やまゆり園」は、交通の便は悪く、辺りにコンビニさえない集落にぽつんと建った障害者施設。こういった障害者施設は、人里離れた場所に作られ、人目に触れることがあまりない。しかし、昨今の精神医療の進歩は目覚ましく、かつては「狂人」とのイメージが強かった統合失調症に対する有効な治療法は確立してきており、重症化することも少ない。また、学校教育においても、インクルーシブ教育が推し進められており、障害者と健常者の共生する社会に向けて、日本も歩みだしている。

(田口ゆう)