今回は、現在、ヒーローズ岸和田(大阪の障害者向けグループホーム)名波さん(仮名 41歳 男性)の取材をさせていただくことになった。
名波さん(仮名 41歳 男性)
名波さんは全般性不安障害の診断を受け、2020年2月から、グループホームで生活している。
小太りの体に優しそうな表情をしているが、取材の中に不安げな、神経質そうな表情も見られた。
小さい頃から、色々なことに不安を持ちやすい性格だったという。
ヒーローズ岸和田の管理者である白井孝明さんが同席の下、和やかな雰囲気の取材だった。
管理者の白井孝明さん
ヒーローズ岸和田では、名波さん以外に精神障害の方と発達障害の方が共同生活を送っている。
名波さんは大阪府の豊中市で産まれた。
白井さんによると、北部にある豊中市はハイソな高級住宅地だが、大阪南部の泉州と呼ばれる岸和田市は、だんじり祭りで知られるように、命をささげるほど祭り愛が強いざっくばらんな土地柄だという。
名波さんは、今年の2月からグループホームに入居して、生活保護を受給しながら自立に向けての一歩を歩み始めたばかりだ。
その生活は、それまでの人生はどういったものなのかをうかがわせてもらった。
【安心できる居場所がなかった小中学校時代と父の蒸発】
全般性不安障害とは、慢性的な不安症状が長くつづく、従来の不安神経症の診断名です。原因は一般的に、ストレス、心配事、何らかの精神的ショックなどの心理的要因だと考えられますが、実際にはそのような出来事がなくとも日常生活上の様々なストレスを背景に、いつのまにか発症しているケースが多いです。症状の一例としては、慢性的な不安、緊張、頭痛、動悸、めまい、不眠などがあります。(引用:HOSITA.JP https://www.hospita.jp/disease/1691/)
「小中学校時代は、両親の喧嘩を見て過ごしました」
名波さんが中学生の頃、父親は蒸発している。
生まれ育った家庭は、安心して過ごせる場ではなかった。
「小さい頃から何かと不安を抱えやすい性格でした。家庭の影響はあると思います」
父がいない暮らしの中で、大学進学は早々に諦めた。
精神疾患や精神障害を抱える人の幼少期の話を伺うと機能不全家庭であったり、親が不仲だったりと幸せな幼少期を送っていないケースを多く見かける。成育歴はその後の人生に大きな影響を及ぼす。
名波さんのメンタルも幼少期から不安定だったようだ。
【就職、そして彼女との出会い。パニック発作に苦しむ日々】
そんな中、名波さんは高校に進学し、営業の仕事についた。会社では免許を取ることを勧められたが、免許を取って運転していけるか不安だった。
「彼女は偉大過ぎる人でした。それに比べてできない自分が情けなくて、パニック発作を起こすようになりました」
それでも彼女は、名波さんを支え続けてくれた。
パニック発作を抱えながらも、29歳~31歳の間はパチンコ屋で働き、リーダーまで上り詰め、正社員にならないかとも誘われた。
しかし、31歳の頃から希死念慮に襲われるようになった。
「どのビルで死のうか考えて、30キロくらい歩いたんとちゃいますかね。とにかく歩いていないと不安でした」
なぜ、飛び降り自殺にこだわったのだろうか。
「人を傷つけて刑務所に入ったほうがいいか、自分を傷つけるかで本気で悩んだ時期があります。しかし、やはり人を傷つけて刑務所に入る選択はできませんでした」
電車に飛び込もうとも考えたが、賠償の問題で家族に迷惑がかかる。車に飛び込んでも、タイミングよく飛び込めず、死ねないかもしれない。頭の中は自殺することでいっぱいになっていった。
【ビルの4階から飛び降り自殺 そして複雑骨折】
「どの建物がいいか、1~2カ月探しました。桜の見える場所でした。煙草を吸って、そのビルの4階のらせん階段まで駆け上がりました。人が来たんでやばいと思って飛び降りました」
16時頃だと記憶している。彼女に給料を全て渡して、覚悟の上で、自殺を図った。
幸い命はとりとめたが、足や腰を複雑骨折し、足の裏は骨折でぐちゃぐちゃとなった。
一般的に本気で死にたい人は、頭から飛び降りるというが、名波さんの怪我は足の裏が一番重傷だった。自殺を決意しながらも名波さんは、心の中に生きたいという気持ちが残っていたのだろう。
自殺未遂の結果、10年経った今でもボルトを入れた足腰は自由が利かないという。
「持っていたバックからは携帯灰皿に、吸ったばかりのたばこの吸い殻が出てきたそうです。母からそんなときでもポイ捨てはせずに、携帯灰皿に吸いがらを入れたんだと聞かされました」
名波さんの真面目な人柄がそこからかいま見える。
今、自殺を考えている人に対して、伝えたいことをうかがった。
「せん方がいいよ。死ねなかったら余計にしんどい。絶対に死ねるならいいけど」
障害認定こそされていないが、今でも名波さんはかがむ、ジャンプする、トイレをするなど日常の動作に不自由がある。
元々あったパニック発作などの精神疾患に加え、身体まで不自由になってしまった名波さんの言葉は重い。
自殺未遂後、名波さんに受け入れてくれる家庭はなかった。実家は足腰が不自由な彼を受け入れられるような造りでもなく、経済的に支えることもできなかった。
行き場を失った彼に、彼女は彼女の実家で一緒に暮らすことを提案した。
名波さんはそれから9年間、彼女の実家で生活することになる。彼を不憫に思った彼女の父も同居を勧めてくれたという。
名波さんは住み慣れた豊中市から、彼女の実家のある岸和田市に転居した。
【彼女の家での疑似家族生活とその終わり】
彼女の家庭も様々な事情を抱えていた。
離婚した兄の子供は、名波さんが面倒をみていた。小学校2年生の双子だった。その2人の子は今年、大学生になる。それだけの年月、一緒に暮らした。
しかし、気丈な彼女だったが、父のガンの発症や兄家庭のトラブルで精神を病んでいった。
ストレスから帯状疱疹や円形脱毛症というには、あまりにも広範囲に脱毛してしまった。
「出て行って欲しい」と言われたのは、おととしのことだった。1年間の期限を与えてもらい、名波さんは新しい居場所探しをスタートした。
「死ぬから出ていくんじゃなくて、1年間頑張ろうって居場所を探そうと思いました」
【やっと見つけたあたたかい家 グループホームでの暮らし】
そんな名波さんは岸和田の社会福祉協議会に相談したところ、生活保護を受給して生活した方がいいと言われる。
そして、周囲の勧めもあって自分一人での生活ではなく、誰かに助けてもらえるという理由から、障害者向けのグループホームへの入居を勧められた。
そこで、白井さんと出会う。
「ここや!」
白井さんが太陽に見えた。
この人なら助けてくれると確信した。
2月から入居して1か月になる。
グループホームでの暮らしに不便はないのだろうか。
「普通にあたたかい家があって、勉強したり、先のことを着々としていける今の生活は最高です。他の入居者とも交流がありますし、不安になっても白井さんに話を聞いてもらえます。もし話を聞いてもらえる人がいたら、自殺未遂もしていなかったかもしれない」
そう名波さんは明るく微笑んだ。
管理者の白井さんに伺うと
「施設により違いますが、うちの施設の門限は22時ですが、その時間に帰れなければLINEしてくれれば大丈夫です。外泊届を出してくれれば外泊も自由です」
自由度は高そうだ。
アルコール依存の方を迎えることもあるので、施設内では飲酒は禁止だが、外で飲んでくる分には構わないという。タバコも施設外なら吸える。自分の家で飼っている犬と入所することも可能だ。
室内も拝見させていただいたが、新築の室内は清潔であたたかい雰囲気がする。
現在、名波さんはチャキチャキの大阪人女性の相談支援専門員さんと、白井さんと、自立支援に向けて就労移行支援事業所に通い、一般就労を目指している。
グループホームには退所期限はないが、10年間はいたいという名波さんに白井さんはたまに喝を入れるという。
2人の関係性の良さ、名波さんの自立支援への意気込みが伝わってきた。
昨年12月にはスタッフを入れての忘年会もし、お正月には福袋を一緒に買いに行くなど希望すれば人との接点は多く、とても家庭的な様子だ。
折った骨の痛みや体に不自由が利かないことはつらいが、相談できる人・あたたかい疑似家庭を得た名波さんは希望に燃え、幸せそうだった。
※障害者向けグループホームとは?なぜ今、グルーホームが必要なのか?を知りたい方は、藤田英明インタビューもお読みください。
https://ai-deal.jp/interview/post-1024/
※内容は事実関係に基づいていますが、個人特定を避けるため、人名・地名・関係者名などは一部事実と異なります。
田口ゆう